漆黒の一角獣、現る!! (2008/06/06)

さっきまで雲を焦がしていた紅蓮の焔は、鈍色の灰に覆われようとしていた。望んだわけではないが、老騎士はもう長いこと、ただ空の移ろうのを眺めていた。
静かだった……数刻前まで、確かにここは鬨の声が轟く戦場だったが、いまは無言の骸が点々と転がる草原に過ぎなかった。

パキッ……
突如、数ヤルム先で焼け焦げた枝を踏み折る音が聞こえる。ゴブリンの戦場泥棒がもう嗅ぎつけてきたのだろうか。
彼らは指輪が欲しければ、指ごと取る。剣を見つければ、手近なもので試し切りする。見つかれば、命はまずない。老騎士はもう一度、歯を食いしばって、いうことをきかぬ忌々しい脚を動かそうと試みたが、やはり徒労に終わった。

パキッ、パキッ、パキッ……
足音がゆっくりと近づいてくる。間隔が短い。四足のそれだ。
死肉を喰らいに来たヘルハウンドだったか……
振り回す余力はないと分かっていたが、老騎士は脇に抱えていた剣の柄に、鉛の手をかけた。

パキッ……
止まった。
ブフゥー……ブフゥー……
荒々しく吐き出される息。
左半分がひしげた面頬の視孔越しに目を凝らすと、真っ黒い柱が四本、眼前にそそり立っていた。
大きい!
首を持ち上げると、ふさやかな薄紫のたてがみ越しに揺らめく炎の如き双眸が見えた。その眉間からは湾刀のように弧を描く一本の角が、天に向かって屹立している。

一角……子供の頃、暖炉で聞いた一角獣ユニコーンに似ていた。老騎士は長い人生の終焉に瑞獣と出会えたことを女神に感謝しようと、聖典の一節を静かに唱えはじめた。

「いたぞ、イクシオンだ!」

その祈りは、ガシャガシャという武装した数人の騒々しい足音に妨げられた。

イクシオンと呼ばれた漆黒の獣は、弾かれたように振り返ると、大きく嘶いた。
バチバチバチ……
にわかに、一角の周囲に無数の飛電が舞い踊る。
誰かが叫んだ。

「やばい、紫電の槍(ライトニングスピア)だ!」


眩い数条の雷光がほとばしり、慌てて目を腕で覆う傭兵たちの姿を一瞬浮かび上がらせた。老騎士からすれば、まだ年端もいかぬ、あどけない顔の少年たちだった。

「しまった。逃げられた!」
「すぐに追うぞ!」

稲妻のように駆け出した漆黒の獣を、少年たちが追いはじめた。
と、殿を駆けはじめようとしていた白いローブ姿の少女が、ふと老騎士の方を振り返った。

「ねえ、みんな待って! この人、生きてる!」

薄れゆく意識の中で、老騎士は呟いた。

「イクシ……オ……ン」

その獣はユニコーンではなかったようだが、老騎士にとって瑞獣であることに変わりはなかった。